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井原というところ

 

前回  プロローグ

 

 

 

vol.2 井原というところ

 

 

 

私企画スタッフS、普段は東京勤務。
井原で縫製する服のデザインをする時は 井原工場のAさんに電話で相談をしたり、井原に行って打ち合わせをしたり。

 

先日開催しましたJIKE STUDIOさんとのコラボイベントのフックパンツも、井原工場で打ち合わせ・企画を進め、縫製をしているのです。

 

 

イベントの記事はこちら

 

 

デニムの聖地と呼ばれる井原にある工場。

そんな井原工場を皆さまに紹介する前に、

まずは私が井原の歴史について調べてみました。

 

 

なぜ “デニムの聖地” と呼ばれているのか。

なぜこの田園風景に縫製工場があるのか。

 

 

 

 

 

ふむふむ、なるほど、ほうほう。

 

 

 

 

〜前略〜

 

井原では江戸時代から綿花の栽培、綿織物が始まり、その後藍染めが始まりました。
そして『裏白』という表が藍色で裏が白の作業着用の厚地綿織物が作られるようになったのです。

(アレ!?なんかデニムにそっくり!?)

 

 

 

因みにデニム生地の誕生は18世紀初頭。
(フランスのニームで織られたサージ「Serge de Nimesセルジュ・ドゥ・ニーム」がアメリカに渡りデ・ニーム→デニムに)

デニムパンツが生まれたのは1873年。(かのリーバイスによるリベットを打った丈夫なパンツの特許取得年)

 

 

 

そこから戦後、GHQが持ち込んだアメリカ生まれのデニムパンツが井原で作られるようになりました。
一時日本でのシェアはなんと70%以上、
品質の高さからジャパンデニムとして海外でも人気になっていったのです。

 

 

 

 

 

ナルホドナットク、ホットドッグであります
江戸時代からデニムに似た特徴の『裏白』という生地が作られていたと。元々井原は綿織物にも作業着にも馴染みがある土地だったのですね!!

 

 

思っていたよりもずっと歴史があることに驚きました。

確かに井原工場の周りは山々に囲まれ、周囲は水田風景が広がっています。
綿花の栽培にはたくさんの水と温暖な土地が必要です。そして藍の栽培にも綺麗な水と肥沃な土が必要です。

 

山に囲まれた盆地の地形がそのどちらにも適していたのですね!

 

 

江戸時代に始まった藍染木綿織物はデニムへと姿を変え、現代に受け継がれていったということを、恥ずかしながら私初めて知りました。

 

 

 

まさにデニムの聖地なのですね。

 

 

 

余談ですが、調べてみて面白かったのは、あの源平合戦で活躍した那須与一が井原市とゆかりがあるということ。各所に逸話が残っていたりお墓があったりするそうです。

 

しかし、さらに調べてみると那須与一のお墓は全国にあるようで、私が少し調べただけでも4箇所ありました、、、(歴史上の人物というよりは偶像に近いのかも知れませんね)

 

その内の一つがある栃木県大田原市はなんと井原市の姉妹都市。(逆に与一繋がり!!?)なんてたって那須ですからね。

 

 

そして私たちの服を縫製して貰っている協力工場が大田原市にもあります。(偶然!)

こちらの工場もいつか皆さんにご紹介できたらと思います。

 

 

 

 

脱線しましたが、歴史の深いここ井原。
私たちがこの場所で作り続けることは、歴史を紡ぐ事でもあるのだと、少し背筋が伸びた感覚になりました。

 

この先も永く作っていけるように、これからも井原で作った服を皆さまにお届けできるように、ますます精進して行かねばと思った今日この頃です。

 

 

 

それではまた次回!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下参照元

 

wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E5%8E%9F%E5%B8%82

 

井原市キッズページ

https://www.city.ibara.okayama.jp/kids/

 

井原観光協会

https://www.ibarakankou.jp/sightseeing-information/local-specialty/DB999.html

 

井原デニムストア(井原被服協同組合)

https://www.ibara-denim.com/abouts/history/

 

 

 

 

 

 

文:企画スタッフ S

 

 

 

 

次回「夏のデニムを思いついた話」